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旧三菱第2ドックハウス

明治期に建てられた
外国人乗組員用の宿舎

旧所在地
長崎市飽の浦町
建築年
1896年(明治29)
移築年
1972年(昭和47)
建築面積
201㎡
構造
木造、2階建
旧所有者
三菱重工業㈱長崎造船所
旧オルト住宅

解説

旧三菱第2ドックハウスは1896年(明治29)、三菱造船所(現三菱重工業株式会社長崎造船所)の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎です。「ドック」は造船所の主要施設で、船の建造や修理を担うところです。

建築当初は「第2ドック」に隣接していたため「第2ドックハウス」という名称でしたが、1965年(昭和40)に立神に新しく第1ドックと第2ドックが建設されたのを機に、これまでの「第2ドック」の名称を「第4ドック」とし、隣接していた建物も「第4ドックハウス」と改称しました。その後、建物は第4ドックが閉渠する1972年(昭和47)まで同造船所で使用されたのち、建築当初の「第2ドックハウス」名称に戻し、グラバー園へ移築されました。

グラバーと岩崎家

グラバーと二代目社長岩崎弥之助
グラバーと二代目社長岩崎弥之助

1881年(明治14)より、岩崎弥太郎が社長を務める郵便汽船三菱会社は高島炭坑の経営を引き継ぎ、トーマス・グラバーは高島炭坑事務所の顧問を務めました。1887年(明治20)に竣工した長崎造船所の最初の鉄製汽船「夕顔丸」の進水式の際、グラバーは二代目社長に就任した岩崎弥太郎の弟 弥之助と共に式に出席しました。またグラバーの息子 倉場富三郎が東京の学習院へ転学する際、弥太郎がその手続きの保証人を引き受けており、弥太郎死後は弥之助が引き継ぎました。

グラバーは晩年になっても引退することなく、活動拠点の東京にある三菱合資会社に出向き、様々な行事に積極的に参加しました。1911年(明治44)、グラバーが73歳で死去した際、新聞の訃報掲載欄には葬儀の場所と共にグラバーの友人として井上馨、山尾庸二と共に三菱三代目社長の岩崎久弥の名前も記されていました。

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